1980年代中盤から1990年代前半にかけて、日本は有史以来? の好景気で、まさに泡が湧きたつごとくバブル景気に誰しもが酔いしれた。
この時代、金銭感覚が狂った人も多く、ブランド品を身に纏い、ステイタスの象徴として、高級車が売れに売れた狂乱の時代だった。
バブル時代のヒエラルキーのトップはベンツだった。560SELじゃないとベンツSクラスじゃないと言われたり、190は小ベンツなどと揶揄されながらも大ヒット。またE30型BMW3シリーズは六本木カローラと言われるほど、六本木界隈の街に溢れていた。
そして、日本車のヒエラルキートップは日産シーマ。欧州車を思わせるスタイルと優雅さで世のおじさんたちが虜になり大ヒット、シーマ現象とさえいわれた。
この時代、バブル景気に浮かれた人たちに好まれたのは、シーマを筆頭に、デートカーのソアラやプレリュードなど、豪華さ、ステイタス性のあるクルマたちだった。クルマで女が寄ってくる……と言われる凄い時代だった。
あれから早30年、当時20代だった浮かれていた若者は、今や50代~60代のおっさんになった。そんなアナタ、20代に戻って、当時憧れだったバブリーなクルマたちを買ってみませんか?
文/伊達軍曹
写真/ベストカーWeb編集部 トヨタ 日産 ホンダ メルセデスベンツ BMW
W126型ベンツSクラス/1979~1991年 現在の中古車価格:100万~260万円
いつからいつまでを「バブルだった」とするかは諸説あるが、ざっくり考えれば1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)あたりの期間が、日本においてはバブル最盛期だったと言えるだろう。約30年も前の話である。
筆者=現在アラフフィフは当時ビンボー大学生活の真っただ中であったため、指を加えて見ているほかなかったのだが、バブル期にはさまざまな高級車、高額車が各メーカーから相次いで発売された。そして今で言うリア充な若年層が、それらを買い漁っていたものだ。
ビンボー学生だった筆者や現在アラフィフのご同輩、あるいはアラ還の先輩方の多くは(たぶん)憧れの対象でしかなかった「当時のあの車」は今、どこでどうしているのか?
そしてもしもまだ売られているとしたら、いくらぐらいなのだろうか? いろいろ調べてみました!
バブル期は、六本木通りにコレを路駐するチンピラ各位が大量発生したわけだが、それだけ「よく売れた」ということでもある。
W126という型式名を持つこちらのSクラスが登場したのは、SONYのウォークマン1号機が発売された1979年のこと。
当初から並行輸入のW126型Sクラスはまあまあ売れていたが、圧倒的に増殖しはじめたのは、W126が後期型へのマイナーチェンジを受け、テレビで佐藤浩市が「24時間戦えますか?」という実存主義的な問いを発していた1989年頃だったように思う。
当時の若い婦女子は「ゴーロクマル(560SEL)以外はSクラスじゃないよね!」などと生意気なことを言っていて、それに対して純朴なカーマニア男子が「いや、直6で標準ボディの300SEのほうが実はイイんだよ!」などと言っても、まるで相手にされなかった。ちなみに1990年当時の560SELの価格は1355万円、一番安い300SEでも840万円だった。
そして2020年現在、W126型Sクラスの中古車は24台流通しており、相場は100万~260万円といったところ。
ただしロングボディのSEL系の数は少なく、標準ボディのSE系が多い。ただし、走行距離2000kmの1988年式560SELが1200万円、1990年式の560SEL、走行距離5.6万kmで580万円という個体を発見したが、これは特別。街中を走っていた560SELに乗っていたあの人たちは今、どこで何をしているのだろうか?
■中古車流通台数:24台、中古車価格:100万~260万円
2代目BMW 3シリーズ(E30型)/1983年~1991年 現在の中古車価格:120万~250万円
六本木通りに路駐されていた輸入車NO.1がW126型メルセデスベンツSクラスであったなら、「六本木通りを実際に走っていた輸入車NO.1」はこちら、E30という型式名を持つ2代目のBMW 3シリーズだっただろう。
5ナンバー枠に収まるそのサイズ感が似ているということと、あまりにも数が多いということから「六本木のカローラ」というありがたくない俗称を付けられたBMWである。
BMWがE30の正規輸入を開始したのは1983年。ちょうどフジテレビ系列で『オールナイトフジ』の放送が始まり、オールナイターズと呼ばれた女子大生たちの美脚や胸に、全国の童貞男子が悶々としはじめた頃だ。
こちらもW126同様、バカ売れしはじめたのは1986年頃からで、2ドアクーペの「325i」が追加されたあたりのタイミングだ。
同クラスの日本車と比べて325iも320iも余裕で200万円ぐらいは高額だったが、その分だけE30型3シリーズは「富の象徴」となり、これを用いてのナンパ行為はきわめて成功率が高かったという。ただし筆者は純情なビンボー学生であったため、実際の確率については不詳である。
現在、E30型BMW 3シリーズの中古車相場は120万~250万円といったところ。全国に10台あまりが流通している。
1991年式の320i、走行距離6万km、148万円、1991年式318i、走行距離1.1万kmのワンオーナー、132万円。といった具合に程度のいいクルマやワンオーナー車が数台見受けられ、下品な改造がされていないフルノーマル系が多い。
■中古車流通台数:10台、中古車価格:120万~250万円
ベンツ190E(W201型)/1985~1993年 現在の中古車価格:60万~220万円
2代目BMW3シリーズが「六本木のカローラ」というありがたくない俗称を頂戴したクルマなら、「小ベンツ」という間の抜けた俗称を与えられたのがこちら、W201ことメルセデスベンツ190Eだ。
Sクラスとほぼ同等のクオリティを、5ナンバーサイズの小さなボディに詰め込んだ小ベンツ……じゃなかったW201は、ドイツ本国では1982年にデビュー。
そして日本への正規輸入が始まったのは1985年、フジテレビ系列で『夕焼けニャンニャン』の放送が始まり、マジメな話としては男女雇用機会均等法がやっと成立した頃だった。
前述したとおりW201という小型セダンは、当時のSクラスの圧倒的クオリティなそのままに、「それを小さくしただけ」という素晴らしいクルマだった。
Sクラスの300SEに対しても「ゴーロクマル以外は……」などと言ってしまう世相に対しては完全に無力で、ただただ「小ベンツ」と馬鹿にされたのであった。
しかし2020年の今になってW201型の実力は再発見され、その中古車は60万~220万円というなかなかの高値で販売されている。
たしかに小ベンツとはいわれていたが、形だけでなく、作り、品質など中身もSクラス譲りだったのだ。
W124型やW126型と同様、頑強なボディ剛性でドアの開閉音も重厚で5ナンバークラスで当時最小のコンパクトセダンにはどうみても過剰品質だった。
また、ペダルが踏みやすいように着座状態でドライバーの膝が曲がる角度が120度になるように設計され、硬めながらも疲れにくい構造となっているシートなど、メルセデスベンツが「最善か無か」という思想で最高品質を求めていた時代に作られたのがW201型だった。それが今見直されているということだ。
サッコプレート(ボディ下半分のプロテクトパネル)が付く1988年式以降の程度がそこそこいいもので80万円くらいから、1992年、1993年式の最終モデルで100万円からあり、なかには1993年式の190E2.6、走行距離3.3万kmで138万円という個体もあった。
コスワース製DOHCヘッドを積む2.3-16Vは470万円で売られていた。2.5-16V(エボI、総生産台数500台)に関しては500万円以上の値が付く場合も多い。また超希少車の2.5-16VエボリューションIIも2480万円(総生産台数500台)で販売されていた。
■中古車流通台数:36台、中古車価格:60万~220万円
3代目ホンダ プレリュード/1987年4月~1991年9月 現在の中古車価格:60万~130万円
バブル期あるいはバブル直前期の若者が憧れたクルマとしては、「デートカー」を外すわけにはいくまい。
今の若い人にデートカーといっても「???」という感じで伝わらないと思うが、スタイリングはスポーティなクーペなのだがエンジンは比較的フツーなクルマが、「ドライブデートに最適なデートカー!」としてもてはやされたのだ。
その最右翼にしてカテゴリー自体を創ったのが、プレリュードだった。低くスタイリッシュなデザインから大ヒットした2代目のキープコンセプト版だが、より洗練されて人気は継続。
学生や20代の若者のデートカーの最右翼がプレリュードで、30代~40代のバブリーな人たちのデートカーは、後述する2代目ソアラだったのだ。
3代目プレリュードは世界初となる、メカニカルな4WS、ホンダ4輪操舵システム(4WS)をオプションで設定したことでも有名。
この4WSは高次元のハンドリング性能を実現するために、ハンドル操作量に応じて後輪を前輪と同方向(舵角により逆方向)に操舵するもの。若干の違和感があったのはご愛嬌。
現在の中古車相場は60万~130万円といったところだが、流通量はかなり少なく全国に8台しかない。大ヒットした割に現存台数が少ないのはホンダ車ならではの宿命か。
ただ、極上コンディションのワンオーナー車がたまに200万円ぐらいで売られていたりもする。
今回見つけたのは1989年式の2.0XXでワンオーナー車、走行距離9万kmの5速MT車で価格は129.9万円だった。MT車は珍しいので欲しい人は即買いするべきだろう。
■中古車流通台数:8台、中古車価格:60万~130万円

2代目トヨタ ソアラ/1986年1月~1991年5月 現在の中古車価格:40万~340万円
2代目ホンダ プレリュードによって開かれた「デートカー」という地平は、1987年に登場した3代目プレリュードにも当然ながら引き継がれた(こちらはカーマニア的には4WSの採用がトピック)。
だが1985年9月のプラザ合意をきっかけに世界的な超好景気(今にして思えばバブル)が盛り上がってくると、当時の若人はデートカーを超えた「もっと凄えやつ」を欲するようになっていく。すなわち「ハイソカーの台頭」である。
代表格のひとつは2代目トヨタ ソアラであろう。そのデビューは1986年。コムサ・デ・ モードやらタケオキクチやらのDCブランドが全盛をきわめ、ビートたけしが軍団を引き連れてFRIDAY編集部に殴り込みをかけた年だった。
2代目ソアラのために新開発された3Lインタークーラーターボの7M-GTEUは当時国内最高の230psを発生し、3.0GTリミテッドの一部には電子制御式エアサスペンションを世界で初めて搭載してカーマニアの耳目を集めた。
だがそれよりも、当時の「女子大生ホイホイ」と呼ばれた姿のことを覚えている人のほうが多いかもしれない。
現在、2代目ソアラの中古車は全国で27台が流通しており、相場は40万~340万円といったところ。
ワンオーナー車も数台見ることができ、100万円前後から200万円前後が中心でフルノーマル車も多い。今あえてフルノーマルのコレに乗るのは、ちょっとシブいかもしれない。
最高価格は1989年式の2.0ツインターボLで340万円、走行距離はなんと1.6万km。また、500台限定のエアロキャビンも175万円、200万円で2台販売されていた。
■中古車流通台数:27台、中古車価格:40万~340万円
初代日産シーマ/1988年1月~1991年1月 現在の中古車価格:50万~220万円

空前の好景気(今にして思えばバブル)がイケイケドンドンで進むにつれ、若年層の「もっとハイソな車を!」と希求するマインドはさらに先鋭化し、ついには「シーマ現象」を生み出した。「セドリック」「グロリア」のさらなる上級仕様として1988年に登場した初代日産シーマがバカ売れしたのである。
ちなみに1988年といえば「ボディコン」が流行り始めると同時に、北の大地では青函トンネルがついに開業し、青函連絡船の情緒があいまいになってきたタイミングだ。
だがいずれにせよ1988年頃、シーマ現象が発生した。シーマ現象とは、当時はほとんどなかった高額3ナンバー車が最初の1年で4万台近くも売れ、しかもその売れた理由が「値段が高かったから」という、なんだかよくわからない理由であったことだ。
人々は当時、あまりにも高騰しすぎて手が出せなくなった土地の代わりに「資産としてのシーマ」に注目したのであった。
だがそんな初代シーマも諸行無常というか、新車当時、383.5万〜510 万円で販売されていたが、今や底値の物件は車両50万円ほどで叩き売られている。
流通台数は34台と現存している中古車は意外と多い。なかにはワンオーナー車も数台見受けられ、5.9万kmで82万円という物件もあった。
コンディション良好な低走行物件は200万円以上の売価となっている場合も少なくない。資産価値はそれなりにあった……ということか?
■中古車流通台数:34台、中古車価格:50万~220万円
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May 16, 2020 at 09:00AM
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