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世界一レアなスーパーカー、チゼータV16Tの意外な歴史──連載「西川淳のやってみたいクルマ趣味、究極のチャレンジ 第4回」(GQ JAPAN) - Yahoo!ニュース

「オリジナルスーパーカーを造ろうじゃないか」

チゼータV16Tは1988年末にアメリカで初披露(デザインモックアップ)され、翌年のジュネーブショーにて正式デビューをはたした、マルチェロ・ガンディーニデザインのスーパーカーである。ドライバーの背後にはなんと16気筒エンジンが横置きされている。 名前の由来から詳しく解説するとしよう。前半はこのプロジェクトの中心人物でありエンジニアのイニシャルから取った。その男の名はクラウディオ・ザンポッリ。イニシャルはCとZで、これをイタリア語発音で読めばチーとゼータ、つまりチゼータとなる。後半はV型16気筒エンジン横置き(トランスヴァース)を意味する。 クラウディオ・ザンポッリとはいったい何者か。しばらくは彼の物語にお付き合いいただこう。物語こそが“スーパーカー”の重要な要素だからだ。 クラウディオはランボルギーニの黎明期、年代でいうと66年から73年まで、天才パオロ・スタンツァーニのもとで開発&テスト担当としてサンタガータ本社に勤務するエンジニアだった。ミウラやカウンタックといった、今となってはランボルギーニの重要なヘリテージとなるモデルをパオロとともに作り上げた。ランボルギーニのブランドイメージを醸すスーパーカー開発の最盛期、クラウディオはその渦中にいたというわけだ。 スーパーカー史に残るモデルに携わったからだろうか。ランボルギーニでの開発という仕事に飽き足らず、もっと大きなこと=たとえば自分のクルマを造ること、に挑戦したいという野望を持ち始めてもいた。 彼がランボルギーニを去ったのは73年のことだ。その頃のランボルギーニは最早組織の体をなくしており、辞めることに何の抵抗もなかっただろうし、野望もまたクラウディオの背中を後押ししたのだろう。2年後、彼はアメリカ西海岸へと求めて旅立つ。 とはいえ徒手空拳ではなかった。彼には計算があった。ランボルギーニの知名度を世界でも有数の金持ちエリアであるアメリカ西海岸で広めることで資産を増やそうと考えたのだ。ランボルギーニのみならずフェラーリその他のイタリアンエキゾチックカーのセールス&メンテナンス拠点を立ち上げると、そのビジネスは彼に巨万の富とある種の特別な人的ネットワークをもたらした。 アメリカで大成功を収めたクラウディオ。やがて自分の野望がひとつのカタチとなって立ち現れてくるという興奮を抑えきれなくなってくる。 クラウディオのプロジェクトがスタートするにあたってもうひとり重要な登場人物を忘れては成らない。フルネームをジョバンニ・ジョルジョ・モロダーという。音楽通ならば名作曲家にして名プロデューサーであるジョルジョの名前と代表作を思い出すことだろう。かのドナ・サマーを発掘したことでも有名だ。誰もが知る数多くの楽曲も世に送り出している。たとえば「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」や「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」、「ネバー・エンディング・ストーリー」。いずれも大ヒット映画用の曲であり、数々の有名な賞にも輝いている。 名前からも分かるとおり彼もイタリア人だった(南チロル出身)。クルマ好きで自身のクンタッチの整備を通じてクラウディオと出会う。そのときジョルジョは2つ目のアカデミー歌曲賞を受賞し、オリンピックゲームの楽曲にも関わるなど絶頂期にあった。「一緒にオリジナルスーパーカーを造ろうじゃないか」。

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June 27, 2020 at 07:41PM
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