クルマには競技ベース車や最終仕様などとして、限定車が設定されることがある。クルマに限らず『限定』という言葉は惹きつける強い塚らを持っている。
限定車は数に限りがある点も大きな存在価値でもある。当然魅力的なモデルには欲しい人が殺到し、あっという間に完売、というものは多い。
しかし限定車のなかには、あまりにも反響が大きくて増産されたものというのもある。
当記事ではそんな増産された限定車を振り返る。
文:永田恵一/写真:HONDA、MAZDA、MITSUBISHI、RENAULT、FERRARI
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ホンダシビックタイプRユーロ
販売期間:2009~2012年(1500台限定)

シビックタイプRユーロは欧州シビックが初代モデルだった時期に設定されたイギリス生産のスポーツモデルで、日本では2009年モデルとして2009年11月から2010台限定で販売された。
この頃日本では「とにかくサーキットの速さだけを追求した」といっても過言ではないくらいスパルタンな2L、NAのスポーツエンジンを搭載した4ドアセダンのシビックタイプRも販売されていた。
それに対しシビックタイプRユーロは3ドアハッチバックボディで、走りも「公道向けのバランス型」というキャラクターに仕上げられており、これはこれで一般ユーザーには受け入れられやすいものだった。
また受け入れられやすいといえば3ドアハッチバックボディながら実はフィットとプラットフォームを共用していたこともあり、室内スペースは望外に広かった点も記憶に残る。

シビックタイプRユーロは好評で、翌2010年4月に再度台数限定で2010年モデルの導入が発表され、この年の10月に1500台が発売された。
ただ2010年モデルは順調に売れたというわけではなく、2012年半ばまで在庫が残っていたようだ。

マツダRX-8スピリットR
販売期間:2011~2012年(1000台限定)

RX-8はRX-7の3代目モデルが2002年8月に生産を終了してからしばしの空白期間を経た2003年4月に登場した、観音開きの4ドア車となるロータリーエンジン搭載車だ。
RX-8はツインターボだった3代目RX-7に対し、燃費の改善も含めNA化されたRENESISと呼ばれる新設計のロータリーエンジンを搭載。
クルマ自体は4ドアとなったこともありRX-7のようなカミソリのようなシャープさこそないものの、それでもロータリーエンジンのコンパクトさもフルに生かした「4ドアのスポーツカー」といっていいくらい実用性と運転する楽しさを高次元でバランスさせた仕上がりだった。
RX-8もRX-7同様に改良を重ねながら販売されたのだが、2011年10月に2012年6月をもって生産終了となることが発表された。このとき最終限定車として1000台限定で発表されたのがスピリットRである。
スピリットRはMTがカタログモデルでもっともスポーツ性の高いタイプRS、ATがラグジュアリーなタイプEをベースに専用オーナメント、レッドに塗装されたブレーキキャリパー、専用シートなどを装備。

機能面はMTこそタイプRSに準ずるものの、ATはタイプEには装備されない大径ブレーキローターやスポーツサスペンションを備えていた。
つまり特にMTのスピリットRは見た目中心の最終限定車なのだが、RX-8のMTはこのときにスピリットRのみとなったためもあったのか、スピリットRの販売は好調だった。
そのため2012年4月にもう1000台の追加生産が発表された。しかし追加生産されたぶんの販売はそれほどではなかったようで、意外に長く新車で購入できたようだった。

三菱ランサーエボリューション
販売期間:1992年(2500台限定)

1992年9月に登場した最初のランサーエボリューションは、当時ラリーなどのモータースポーツを2Lターボ+4WDのギャランVR-4で戦っていた三菱自動車が、「戦闘力向上のためギャランVR-4のパワートレーンをボディサイズの小さいランサーに移植したモータースポーツ参戦ベース車両」というコンセプトを持つモデルだった。
このコンセプトは最初のランサーエボリューションが登場直後にリリースされたインプレッサWRXの初代モデルが、「レガシィのパワートレーンをコンパクトなインプレッサに移植して戦闘力を高める」というものだったのとほぼ同じである。

最初のランサーエボリューションは商業的には期待されていなかったこともあり、ラリー参戦のホモロゲーション取得に必要な2500台限定で販売され、カタログも簡易なものしかないなど、プロモーションもほとんど行われなかった。
しかしフタを開けると2500台はわずか3日で完売。予想外の反響に2500台が追加され、こちらも完売までにそれほど時間はかからなかった。
また最初のランサーエボリューションはここでは「最初の」のという言葉を強調したのと単に「ランサーエボリューション」という車名が象徴するように、継続される計画ではなかったという。


しかし市販車の人気と、モータースポーツを含めたインプレッサWRXとの戦いのためアップデートが必要なこともあり、1994年2月にはエボリューションⅡが登場。
以降インプレッサWRXが年次改良でB型、C型のように進化するのと同様にランサーエボリューションもほぼ毎年のようにバージョンアップし、限定で販売された。
その歴史は2007年登場でカタログモデルとなったランサーエボリューションⅩまで続いた。

ルノークリオウィリアムズ
販売期間:1994~1998年(3800台限定)

日本ではルーテシア、日本以外ではクリオの車名で販売されるクリオはそれまでの5(サンク)の後継車として1990年に登場したコンパクトカーだ。
初代クリオには1.8L、DOHCエンジンを搭載した16Vというスポーツモデルもあったのだが、ラリー参戦のため「2L、NAのスポーツエンジンを搭載したホモロゲーション取得モデル」も必要になり、それが1993年登場のクリオウィリアムズである。
ウィリアムズの車名は当時ルノーのF1活動においてエンジン供給し、1992年と1993年にはドライバーとコンストラクターのダブルタイトルを獲得したウィリアムズチームに由来する。ただクリオウィリアムズの開発にはウィリアムズチームは一切関与してなかった。

このことはともかくとしてクリオウィリアムズはトレッドを含めたサスペンションの強化、エンジンも性能だけでなく耐久性の向上といったモータースポーツでの使用も視野に入れたモデファイがルノースポールの手によって施された。
そこに名門ウィリアムズチームの名も着くのだからクリオウィリアムズの人気は当然で、最初の3800台は即完売となり、1617台が追加生産された。
さらにクリオウィリアムズはのちに2と3が発売され、最終的な累計生産台数は1万2100台となり、カタログモデルに近い存在となった。

フェラーリF40
販売期間:1987~1992年(350~400台限定)

F40はフェラーリ社創立40周年を記念したスペシャルモデルとして、フェラーリ創始者のエンツォ・フェラーリ氏が90歳で逝去する約1年前となる1987年7月に登場した。
F40のコンセプトはズバリ「公道を走れるレーシングカー」という超スパルタンなスーパーカーである。
そのためカーボンボディとすることなどで車重1250kgを実現した車体に478psの3L、V8ツインターボを搭載。快適装備はエアコンがあるくらいでパワステすらないという、コンセプトどおりの文字どおり財力含め限られた人しか乗れないクルマだった。

F40は当初350~400台限定で発売され、日本での価格は4500万円だった。
だがF40は世界中から注文が殺到し、「注文がある限り生産する」ということに方針変更となった。これはフェラーリ社が「F40が投機の対象となるのを防ぐため」、そのように変更したといわれている。
最終的には1992年までに約1300台が生産・販売されたということで、当初の限定台数の4倍近い数が生み出されたことになる。
それでもF40は、特に日本ではバブル景気の絶頂期だったこともありいつ手に入るかわからない新車に対し、現物のある中古車や並行輸入車の価格が億を超えることが当たり前だった。
やがてバブル景気が崩壊するとさすがのF40も値崩れし、大損した人が大勢いたほか、F40に対してはF1ドライバーですら「雨の日はガレージから出してはいけない」と語るなどの逸話が残っており、F40は未だにバブル景気を代表する存在のひとつとなっている。

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May 12, 2020 at 07:00AM
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